算命学をある程度学ぶと、自分の人生の流れを振り返ることができるようになります。

「あの時はああだった。」「この時はこうだった。」というものが分かれば、おおよそ自分の人生サイクルのようなものが分かります。

自分のサイクルが分かれば、これからの予定も立てやすく、注意し時、攻め時などから、自分の人生を組みたてて行けるようにもなるんですね。

私はどちらかというと、「自分で組み立てる」という使い方が好きかもしれません。

ただ、自分で組み立てたとはいえ、自然の法則から逸れている時には、何らかのお知らせがやってきます。

その目安の一つが、大半会と納音。

天中殺の今年、この二つの関係をもつ方々とご縁を頂くことになり、自分のこれまでの活動に安堵致しました。

お一方は、私の日干支と大半会する月干支を持たれる方、もうお一方は、日干支同士で納音となる方です。

自分の日干支と納音する方との出会いは、大まかに言いいますと「あなたの過去は違っていますよ」というお知らせであり、今までのことを見直す良いお知らせなのだということ。
もし、これからの生き方、進路に迷っていて、自分の日干支と納音する方とであう場合は、方向転換を知らせている人だと思って良いのでは?と。

また、自分の日干支と大半会する方との出会いは、「今までのことは正しいですよ。」ということになっていきます。


天中殺で中央が対冲の私にとり、「今のままでいいの?」と少し心がゆれる場面があり、そうなることは分かっていると思いつつも 心を揺らしてしまうあたりは、まだまだ神の声を腑に落とせていない気もします。

そんな時に、先ほど書きました自分の日干支と大半会・納音する人と出会うと、「自分のこれまでの活動は間違っておらず、これからもそれに邁進していきなさい。」と言われたようで、また斉えることが出来たように感じます。

ちなみに出会った順番は、納音の方が先。というと、「過去は違っていた」と捉えそうですが、納音の相手は日干支。一つにまとまったまま このまま続けて行くということなので、一概には、これまでの否定にはならないのかなぁと。

その後に出会った方が、私の日干支とその方の月干支が大半会。今までの結果を最大にしてくれる相手となる為、私の中では算命学を学び、多くの方にお伝えしていくという思いは、神様にOKを頂いたように感じるのです。